< 民族音楽とは >

(桝 源次郎)


どこの国、どこの民族にもその生活文化として
生活感情と芸術感興を発表する才能に恵まれた人の歌や芸能が
人々の心に触れ、その民族生活に溶けあう自然の修正や洗練が加えられ
民族の伝統となっているいわゆる”民謡”や”民俗芸能
あるいは”郷土芸能”や”舞台芸能”と呼ばれる音楽や舞踊をもっている。
それが”民俗音楽”であり”民族音楽”である。

それは人間の生活から働き出す心の必然的な活動であって
その根は、自分の生まれ育った国土や文化に
またその中における生活の歴史や伝統につながる誇りと感激に
心新たに自分の存在を見直す”郷愁”と呼ばれる感性の中にひそんでいる。
従って民俗音楽(民族音楽)の内容は
大にすれば文化史の一角を示し
小にすれば彼等の生活の一片を示している。
それ故民俗音楽の研究は国家主義に結びやすく
ときには自民族文化の顕揚を目的とされた。
そして多くの国々において
民俗音楽”は自民族音楽を研究する科学
民族音楽”は未開民族の音楽を比較研究することで
記録残されかった太古の人類音楽史を復源する科学と規定された。

しかしヨーロッパ諸民族は
人類の同一性に加え国境を相接し、また征服
その文化は同一宗教的伝統を基盤として発展し
被征服は相互の間に繰り返されて文化は重なり合い
政治的国境はあっても文化的国境を定めることは困難であることから
民俗音楽学を自民族の音楽の研究に限定することは方法論的に妥当でなくなり
特定民族の民俗音楽の研究は諸民族の音楽の特殊性の比較研究に指向し
今日では民俗音楽と民族音楽はその研究領域は交錯して全人類的となり
音楽文化の正常な発展のためこれまでの
音楽文化の歪を正するあるポイントを見出す学問となった。

このような民族学や民俗学的資料に基いて音楽の内容と性格を
究明する学問を学んだ日本人は、戦前にはほとんどなかった。
あっても漢籍や洋書に現れた文献資料を特定の構想でまとめた
机上の偏狭な民俗音楽論の類である。
昭和三十一年の日本の学校教育刷新を契機に
学校音楽教育に日本音楽や民族音楽の名が見られるようになったほど
民族音楽は日本では新しい音楽の呼び名であり
世界文化史に占める音楽の位置を見出して
将来の音楽を導く道標を打ち立てた研究は未だ見られないのである。

いうまでもなく、民族の交流が盛んに行なわれる今日
その生活圏は相互に大差が見られなくなって
文化における一つの世界ということが理想のきずなの一つとなり
音楽の一つの世界はもはや常識のようにいわれる。
しかし日本人でも、フランス人でも、アメリカ人でも
またどこの国の民族でも
民族の個性、その特質を抹殺して
普遍的な世界市民なるということや
そのような芸術は観念的に存在し得ても
現実的にはありようがなく
音楽もその例外ではないのである。

(民族音楽と文化より)




桝 源次郎




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