「佐渡の古面」
に関する一考察

〜 能面師 田島 満春 〜




<佐渡正法寺の面(伝世阿弥太夫愛用の面)>
世阿弥がこの面を着けて舞ったところ大雨を呼んだという伝承がある。

古面に見られる楠で打たれていると見ました。
素地が出て、胡粉・赤色等が残って、煙や線香等で黒くなっただけでなく
自然の古さや神事等で使用されたと思われる人の温もりが
伝わってくるような魅力ある面でございます。
また、作者の腕前も物凄い達人で、目鼻立ち他
どこを取っても無駄のない彫りでも魅力があります。
口を結び、小鼻を思い切り上げ開き、鼻から息を吸い切るか、吸い切った様・・・
私には押さえ付けられそうな表情に感じます。
まず<大ベシミ>と拝見いたしました。
そして、現在の<大ベシミ>との違いは
@耳がない
A冠部が一段下がって立ち上がっている。
B額(おでこ)に深い皺
C目が思い切り釣り上がっている。
D目玉も内と下に誇張してある。
E二重瞼は、眉毛部が下り途中で一度見えなくなる。
F鼻中央を赤色でえがく所を二本の盛り上がった線で前方に使い作られている
という点であります。
私も含めて制作者としては口を開いた面と口を結んだ面では
口を結んだ工作の方が、表現が出ずらく難しいのであります。
「正法寺面」は、左右の口元が欠けて無くなっていても
口の結びの作りには迫力があり
また、目鼻立ちの一つ一つは
これ以上の肉は取れぬほど贅肉が無く
それが動きに変り、強い面となってくるのでございます。
面の裏を見ますと、彫刻師等の作でない事がよくわかります。
それは、鑿の走り(鑿または鉋目)、鑿動き(鉋の使い方、鉋の動いているようす)
裏全体の作り(仕上げ方)は、明らかに面打師の仕事であります。
そこで気になるのが、潟上区所の面であります。
この「潟上面」も明らかに、面打師の仕事であります。
そして、「正法寺面」と同一する場所・部分があります。
それは<大ベシミ>と見ただけでなく
額の皺、目と目の間、鼻上の芸の細かな二本の線
大胆なタッチ、面裏の鑿の走り、前に記したと同様の鉋の動き
鉋目は異なるのですが、それは、檜と楠の差であります。
「正法寺面」は楠材で軟らかくて鉋目が荒いタッチ
「潟上面」は、檜材なので堅くて細かいタッチがよくわかります(鑿目がよくみえます)。
特に決め手になったのが、内側の目の中の部分の鉋目であります。
私は同一の鉋で仕上げてあるとみました。
私は、はじめ「正法寺面」の方が古い時代の面に見えました。
その理由は、汚れ、黒い(きたなくみえる)破損風化等から古く思えたのです。
それは、使用行事等が多かったためか
また同寺では、古くから寺の内外で行事等を行なったのかは存じませんが
あつかっている内に欠けたりもしていて、そう見えたのではないか
それがその時に感じた「正法寺面」を古く見た私の理由でございます。
また、話は戻りますが
「潟上面」は檜、「正法寺面」は楠材です。
楠は、柔かく欠けやすく変形し、工作は行ないやすい(荒タッチ)材料です。
そして、佐渡に世阿弥配流の時に持って来た中の一面ではないか
いわゆる十作(実作)の中の面打師ではないのか
世阿弥の時代には能面は完成されているのであり
「正法寺面」「潟上面」とも同年代(同時代)の面ではないか・・・。
二面とも面打師が打った(制作)面に間違いはないと明言できます。
そして、二つの面は同一人物の作であると見たのです。
私は、佐渡の歴史は存じませんが
拝見する前は、この「正法寺面」は世阿弥の嫡子元雅の形見とみましたが
実際に拝見した後に思いが変りました。
というのも、この面が現在の<大ベシミ>と定まる以前の
躍動している面なのかも知れないからです。
世阿弥の配流以前に、佐渡に面打師が居たのではないか、本土に求めたものなのか
とにかく現在34棟の能舞台があり、以前には80棟もの舞台があったとのことで
それでは面打師も居たのではないかと、あれやこれや、何故々々と色々な事を考え
佐渡にはまだ沢山の面が残っているのではないか
この面は神事的な物だから残ったのか
考える事が深まってまいります。
それでは、もう少し突っ込んだ見方をしますと
「正法寺面」は耳の無いのが原型とすれば
<大ベシミ>の出来る以前の面なのでしょうか。
または、<大ベシミ>が素で作られたのでしょうか。
あるいは神事等で特別に作られた面なのでしょうか。
このままでも、この面は、目鼻立ちが上にあがって
下を見下ろすように凄味があり、勢いのある面でありますが
私が思うには、左右の口元が欠けているように、耳も欠けたのではないか。
欠けた口元を<大ベシミ>の頬と顎部(エラ)から想像しますと
もっと大きな深い面になります。
そして、それにつながる耳が浮かんで来るのであります。
前に記したように、楠は軟らかく欠けやすいのです。
すべて、欠ける要素としては
耳の付いた面は、耳の付根の素地が工作上は薄くなります。
それは耳を浮かせる(作る)には当たり前の事で
裏(内側)からの彫りも、中へ入るにつけ耳を過ぎた所は薄くなります。
また、口元も同じ事で、表が凹んだ分、中(内側)も薄くなるのです。
いわゆる、上から下へ縦に薄い所がつながることになるからであります。
この面は、紐穴もくずれた所があり、素人が紐穴を空けたように見えました。
しかし、ソリ(面裏の縁、周り)の部分に平らな所があり
その平ら(ソリ)の所が正規といたしますと、耳は無いことになります。
しかし、例えば耳が欠けた後に、使用しやすく、鉋等で平ら(ソリ)にしたと想像します。
この、平らにする事は、容易い部分の作業なので素人にもできます。
そして、この面の平ら(ソリ)にした所は、新しく見えるのが当然なのでしょうが
同一の汚れ(黒色)でございました。
私は、多少の違いがあろうかと思って見直したのですが
その差はありませんでした。
やはり、耳は無かったのかと思う次第でございますが
欠けた部分にも木屎(木地の穴等を木屑を練って埋める事)があります。
また、表側の欠けた部分を見ますと(2日間、2回にわたり拝見いたしました)
元々はやはりもっと大きくて深い面であったようであります。
耳の取れた部分を鉋等で平らにし、その時に多少の色付け・塗り等をして
または神事等で使用され、年月も経て風化しその差も無くなったのではなかろうか・・・
私は、「正法寺面」を拝見し、複雑な気持ちになったのでございます。

(両津市 「郷土博物館研究ノート NO7 1995 4」より)




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